大恐慌は今に起こったことではない
今回も相場の歴史を振り返るシリーズです。
10月の世界的な株価の暴落と今後つづくであろう不況は1929年に始まったいわゆる「大恐慌」に匹敵する、と新聞等でも書かれるようになってきました。確かにこの株価の急変はきわめてまれな事件で、日経平均の一日の下落率記録でも歴代10位のうち2,4,5,6位をこの10月が占めています(参考:日経平均プロフィル)
僕は日経平均先物・オプションを中心に手がけていましたが、常識外の下落に巻き込まれて相当損失を出しました。このような非常時における相場ではテクニカル分析もファンダメンタル分析も通常のやり方では一切通用しない魔境に入ってしまうことがよくわかります。今回は、この1929年に始まる恐慌がどのようなものだったのかを振り返ってみます。
歴史に残る1929年の大恐慌を振り返る
さて、話は1913年からはじめます。
この年、FRB(アメリカの中央銀行)が設立されました。中央銀行が金利を上下したり、国債の吸収・放出で市中に出回る資金量を調節できるようになったため、「好況・不況・恐慌を解決する機関」として歓迎されました。もちろんそんなことはないことは後で明らかになるのですが、当時は中央銀行の政策が実体経済にどのような影響を与えるかの研究も進んでいなかったので当然かもしれません。
翌1914年、第一次世界大戦が勃発し、1918年まで続きます。戦場になったヨーロッパ諸国は国力を消耗したため、アメリカは戦後の復興需要を一手に引き受けて1920年代に空前の好景気に沸きます。
さらに、この時期は自動車産業の始まりでもありました。自動車の価格が庶民でも買える程度にまで下落し、個人の生活スタイルも変わりました。ラジオや映画の普及があったのもこのころなので、おそらく繁栄を実感できる時代だったろうと思います。もちろん世界の投資資金もアメリカに集中し、株価は大きく盛り上がることになります。
恐慌前の下地として発生したバブル相場
そして相場が盛り上がるときはいつものことですが、信用取引でレバレッジを効かせて参入する者がたくさん現れ、完全にバブルの様相を呈します。時のフーバー大統領も警告を発しますが、当時は市場のことは自由にさせておくべきであり政府が介入するのは誤り、という考え方が主流だったためそれを気に留める人は少なく、バブルは際限なく膨らんでいきました。
1929年の半ばごろまでが投機のピークで、アメリカ各地で証券会社の支店が急増し、中には大西洋航路の客船内にまで支店ができるありさまでした。
一方、好況の継続でやがて生産設備が過剰となり、不況の下地はできていました。異変は1929年10月24日木曜日に起こりました。(次ページへ続く)














