時代の流れに乗り、映像翻訳家としてデビュー
山下さんの半生を振り返ってみよう。小さい頃から、本を読むこと、文章を書くことが好きだったという山下さん。高校卒業後、アメリカの大学に留学し、学生結婚。卒業後は神奈川県厚木に住み、3人の子どもに恵まれた。友人に「子どもに英会話を教えて欲しい」と頼まれ、自宅で英会話教室を開いた。
転機が訪れたのは、20代半ば。「映像翻訳ができる人が足りない。山下さん、映像翻訳の仕事をしてみない?」と誘われた。1980年代半ば、一般家庭にVHSビデオデッキが普及し始め、レンタルビデオ店が続々とオープンした。当時、街中にレンタルビデオ店が増えたが、肝心のビデオ作品が少なかった。そこで日本で上映済みの映画だけでなく、日本で未公開の海外映画やドラマをレンタルビデオ用に翻訳した。映像翻訳家のニーズが高まり、時流に乗って山下さんは、映画やドラマの字幕翻訳の仕事を始めることになる。
1987年、自宅でビデオの字幕翻訳の仕事をスタートした。キッチンの一角にテーブルを置き、ビデオデッキで作品を確認しながら、翻訳をした。「子どもは、私が仕事をしている近くで遊んでいました。私は仕事をしていても、子どもの側にいてあげることが大切だと思っていたんですね。子どもが見るテレビの音が聞こえても、集中力は途切れませんでした」。
「頼まれたことを断らない」ことで人生が開けた!
当時は宅急便もあまり普及しておらず、仕事のたびに片道1時間半かけて、字幕制作会社にビデオを取りに行った。手書きの原稿を自分で持参し、提出。「今は宅急便や電子メールで送れますが、昔はそうはいかず、自分で届けるのが一番速くて、確実な方法でした」。
繁忙期には、二重三重に案件が重なることもあった。「どんな時にも、断らず、なんとか仕事をこなし、次につなげていきました」。家族旅行にも仕事を持っていき、早朝、夜寝る前、新幹線の中など「細切れの時間」を活用し、集中して仕事をこなした。旅先で仕事の連絡を聞けば、そこから都内にいる翻訳者に応援を頼むなど、仕事に穴を空けないように心掛けた。子どもが入院した際も断らないで仕事を続け、「病室で、子どもの枕元に座って仕事をした」という。
深夜いつでも駆けつける翻訳家はほかにいない
1990年、テレビ局の放送翻訳の仕事を開始。放送翻訳の仕事では、深夜にテレビ局から呼ばれて駆けつけることも多い。海外で起こるニュースを、朝一番のニュース番組に間に合うように翻訳するためだ。
時差の関係で、たとえばアメリカの昼間は、日本の真夜中。ニューヨークの9.11事件のとき、山下さんも午後10時に一報が入るとすぐ、テレビ局に駆けつけた。「事件が大きく、いつ続報が届くか分からないので、そのまま3日くらいテレビ局から出られませんでした」。そんな経験は多い。「昔は深夜いつでも駆けつける翻訳家が少なかったのでしょう。よく声をかけてもらいました」。
常につきまとうのは、緊張感。「たとえば大統領の演説を翻訳する際、日本中のテレビ局が一斉に翻訳を行うわけです。1人だけ、言葉を間違えてしまったらどうしよう、とか、そういう緊張感がありました(笑)」。
複数の仕事を同時進行する「集中力」と「切り替え」
山下さんのように、1人でいくつもの役割をこなすには、「集中力」と「切り替え」が必要だ。「たとえば、ついさっきまで仕事をしていても、パッと子育てモードに戻れます。午前10時から午後2時まで、子どもが幼稚園や学校に行っているときは、その時間に集中して1日分の仕事をしてしまうとか、気持ちのスイッチの切り替えが早いんですね。細切れの時間も仕事に活用しました。仕事に煮詰まると、だらだらと仕事せず、家事をするなど、すぐに違うことをして気分転換を図りました。忙しくて時間がなかったので、それぞれの作業に集中できました」。















