MONEYzine(マネージン)

一覧から探す

“米との密談5年後に体制崩壊”の法則!? 中国投資に活かすなら

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
2014/03/19 08:00

 米国と対立する国とのトップが密談すると、その5年後に対立国が体制崩壊するという法則があるとかないとか。では、2013年にあった米中首脳会談はどうなるでしょう。

 先日、独自の視点から相場を見ることで知られる某氏が、「米国大統領と対立する国家の指導者が大統領の別荘なんかで密談すると、だいたい5年ぐらいでその国の体制が崩壊するんだよなぁ。何かこっそり取引していることもありそうだよ」とおっしゃっていました。

 「そんなことがありえるのかな?」と早速調べてみると、「火のないところに煙は立たず」か「偶然の一致」か、そういう見方もできそうではあります。

 そうなると、気になるのが2013年の米中首脳会談です。何を話して、何を握ったのか……。

ソビエト連邦解体も、レイキャビック会談から5年後だった

 米ソ冷戦を繰り広げたソビエト連邦は、1991年8月の共産主義者によるクーデター失敗で崩壊しました。同年9月から12月にかけて、すべての旧ソビエト連邦諸国は独立、ソ連は崩壊しました。

 ソ連崩壊の遠因は米国との軍拡競争にあったとされますが、その直接の引き金は、ミハエル・ゴルバチョフ氏が1985年3月にソビエト共産党書記長に就任し、翌年4月からペレストロイカ(ロシア語で「立て直し」の意味)と情報公開(グラスノスチ)を推進しはじめたことです。

 そのゴルバチョフ氏は、ソ連の指導者として、レーガン米国大統領と1985年から1988年まで毎年、計4回首脳会談を行っています。最初はスイスのジュネーブ(1985年)、次がアイスランドのレイキャビック(1986年)、3回目はワシントン(1987年)、その次はモスクワ(1988年)でした。議題は軍縮と東欧問題だったとされています。1989年には東欧革命が起こったのにソ連がこれを黙認、1989年にはマルタ島でブッシュ米大統領とゴルバチョフ書記長が40年以上続いた冷戦終結を宣言しました。

 1991年のソ連崩壊はレーガン大統領とのジュネーブ会談からは6年、レイキャビック会談からは5年です。ルーマニアでは流血革命となり独裁者のチャウシェスク氏が処刑されましたが、旧ソ連の指導者はゴルバチョフ氏を含め、ことなきを得たようです。この違いはどこにあるのか、米ソ首脳会談で何を握ったのか、という穿った見方の余地はありそうです。

日本のバブルも、ロン・ヤス会談から6年後に

 半導体や自動車で米国企業を日本企業が打ち負かし、ニューヨークの一等地を日本企業が買い漁っていたころ、米国にとって日本は経済面での脅威となっていました。中曽根氏が第71代総理大臣となった1982年当時は、日米関係は極めて険悪といえる状況でした。その中曽根首相(当時)は1983年1月に訪米し、冷戦中の米国への軍事的な協力を前面に打ち出して、レーガン大統領と「ロン、ヤス」と呼び合うほどの信頼関係を築きました。

 その後、1983年11月の日米蔵相共同声明で円の国際化と日本の金融自由化を取り決め(約束させられ)、1985年9月のプラザ合意以降、急速に円高が進みました。円高による景気後退の影響を緩和するため、日銀が過剰流動性を供給し、その後の株・不動産バブルが引き起こされました。(次ページへ続く)


【FXランキング】 FXランキング 最新FXランキング スワップFXランキング 手数料FXランキング 口座数FXランキング 会社
【FXを徹底比較】 FX比較 取引コストFX比較 手数料FX比較 通貨ペアFX比較 発注機能FX比較 サービスFX比較 安全

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

著者プロフィール

本記事は、投資や貯蓄などマネーを活用するための情報提供を目的としており、続きを見る

スポンサーサイト

All contents copyright © 2007-2017 Shoeisha Co., Ltd. All rights reserved. ver.1.5