日銀副総裁が語る「マネーの将来」
日本銀行副総裁、雨宮正佳氏は、10月20日に名古屋市立大学で開催された、日本金融学会2018年度秋季大会で「マネーの将来」と題して特別講演を行った。日本銀行は公式サイトでその講演内容を公開した。
講演は「マネーの機能」「情報技術革新と支払い決済手段のデジタル化」「マネーの将来」の3つにフォーカス。「情報技術革新と支払い決済手段のデジタル化」では、「仮想通貨」「暗号資産」に関する状況を以下のようにまとめている。
2009年に最初の暗号資産である「ビットコイン」が誕生した後、新しい暗号資産が次々と発行され、現在は2000近い暗号資産が存在すると言われている。これらの暗号資産は、デジタル情報技術の中でも、ブロックチェーンや分散型台帳技術といった「分散型」の技術に基づいていること、特定の発行者を持たないこと、さらに円やドル、ユーロといったソブリン通貨単位を用いないことを特徴としている。
最近、学界や国際的なフォーラムでは、中央銀行が自ら新しい情報技術を活用し、銀行券の代わりに使えるようなデジタル通貨を発行すべきではないかとの提言もみられる。銀行券が急速に減少しているスウェーデンや、銀行券に関するインフラが十分に整備されていない新興国・途上国などでは、このようなデジタル通貨の発行について、真剣な検討を行う中央銀行もみられるようになっている。
マネーの将来
今回の講演のメインでもある「マネーの将来」では、以下の5つのポイントに触れている。
- マネーに求められる「信用」と暗号資産
- キャッシュレス化の一段の進展
- マネーとデータの接近
- 「二層構造」の意義
- 中央銀行の役割と機能
ここでは、これら5つのポイントに関する雨宮氏の発言の概要を見ていこう。
1. マネーに求められる「信用」と暗号資産
雨宮氏はまず最初に、一般に「仮想通貨」と呼ばれる事の多い暗号通貨や暗号資産について、「発行者を持たず、ソブリン通貨単位を用いない暗号資産が、信用と使い勝手を備えたソブリン通貨を凌駕する形で、支払決済に広く使われていく可能性は低いように思う」と述べている。
中央銀行はすでにある信用を利用することで、ソブリン通貨、すなわち自らの債務を、低いコストで発行できるのに対して、暗号資産がソブリン通貨を凌駕して使われるためには、すでに確立されている中央銀行の信用と競わなければならない。しかし、暗号資産は、信用をゼロから築き上げるために、取引の検証(マイニング)のための膨大な計算や、これに伴う大量の電力消費などのコストがかかることから、暗号資産が支払決済に広く使われていく上でのハードルは、相当高いように思うと雨宮氏は述べている。
しかし、暗号資産の基盤技術であるブロックチェーンや分散型台帳技術は有望な技術であり、これらの技術をソブリン通貨などの信用と結びつけることで、取引や決済の効率化を実現できる可能性もある。日本銀行も、欧州中央銀行との間で、分散型台帳技術に関する共同調査「Project Stella」を進めている。
2. キャッシュレス化の一段の進展
一方、暗号資産とは異なり、ソブリン通貨単位を用いながらデジタル情報技術を一段と活用する形での支払決済のキャッシュレス化は、今後とも進んでいくと雨宮氏は述べている。
3. マネーとデータの接近
3点目として、「今後、マネーとデータはますます接近していくだろう、そして、このようなマネーとデータの接近は、経済や金融の構造にも、様々な影響を及ぼしていくと予想される」との見解を示した。
これまで民間銀行は預金を核として、支払決済サービスと信用仲介サービスの両方を提供してきたが、近年、金融分野に参入しているIT企業やeコマース企業は、ビッグデータやデータ収集のプラットフォームを核として、金融サービスを含む広範なビジネスを展開している。このように、データとマネーの接近は、金融サービスの供給構造も変化させていく可能性が考えられるとしている。
金融サービスのユーザーである個人や企業は「情報やデータの束」とも捉えることができる。これからの金融サービス提供主体は顧客から情報やデータを預かり、これらを守りながらそれぞれの顧客のために最適なサービスの提供に努める「情報バンク」「データバンク」としての性格を、一段と強めていく。このため金融サービスの提供主体には、顧客情報の管理やデータセキュリティが、一段と強く求められることになるだろうと指摘している。
さらに、新たに金融サービス分野に参入し、自らの債務を広範に支払決済手段として提供するノンバンクなどに金融当局がいかに関与すべきか、また、そのためにいかなる枠組みを用意すべきかといった、新たな論点も生まれており、これは究極的には金融業の定義にも関わり得る問題だとしている。
4. 「二層構造」の意義
4点目は、中央銀行と銀行など民間主体との「二層構造」について。雨宮氏はこの構造が今後も維持されるだろうと述べている。
中央銀行デジタル通貨をめぐる議論では、そのメリットとして、取引や支払決済の効率化に加え、学界では「名目金利のゼロ制約を乗り越えやすくなるのではないか」との主張もある。さらには、中央銀行デジタル通貨が民間銀行の決済性預金を完全に代替すれば、民間銀行の期間変換や、さらには預金保険や中央銀行のLLR(Lender of Last Resort、最後の貸し手)機能も不要となり、金融の安定にも寄与するのではないかとの主張もあり、これは「ナローバンク論」に近い議論と言える。
しかし、中央銀行によるデジタル通貨の発行が、金融政策の有効性向上や金融安定に本当に寄与するのかについては検討すべき点が数多く残されている。たとえば、名目金利のゼロ制約を乗り越えるには、現金をなくす必要がある。仮に中央銀行がそのデジタル通貨の金利をマイナスにしても、現金が残る限り、これへの資金シフトは起こるからだ。しかし、現在広く利用されている現金をなくすことは、決済インフラをむしろ不便にすることになる。
また、現金には電力に依存しないというメリットがあることは、先日の北海道の地震でも示された通りであり、これらを踏まえれば、現金を今、あえてなくすことは、決済インフラの提供を通じて経済社会に貢献することを使命とする中央銀行として、採り得ない選択肢だとしている。
日銀がデジタル通貨を発行する可能性
また、中央銀行が、現金の代替にとどまらず、預金まで代替し得るような汎用性の高いデジタル通貨を発行することについては、これが金融安定や金融仲介に及ぼす影響について慎重な検討が必要だとしている。たとえば、人々がモバイル端末等を通じて簡便にアクセスできる中央銀行デジタル通貨が発行され、そのもとで金融システムにストレスが生じた場合、預金から中央銀行デジタル通貨への資金シフトが起こることが考えられる。すなわち、従来は人々が銀行に来店し現金を引き出す形で起こっていた「取り付け」が、デジタル化された形でより急激に起こり得る。
また、中央銀行デジタル通貨が、現金だけでなく預金まで代替していった場合、銀行の信用仲介を縮小させ、経済への資金供給にも影響を及ぼし得ることになる。このように、中央銀行デジタル通貨が預金を代替する形で、これまでの「二層構造」を「一層」にしていくことには、民間イニシアチブを活かした成長資金の配分といった観点からも、論点が多いとしている。
また、雨宮氏は、日本銀行は現在、一般の支払決済に広く使えるようなデジタル通貨を発行する計画は持っていないと述べ、デジタル通貨の発行について検討している海外の中央銀行も、取引の効率化や信用リスクのない支払決済手段の提供などを狙いとしており、預金の代替を目的に掲げている先は見当たらないと指摘。このことを踏まえても、中央銀行と民間主体による二層構造は、今後とも維持されていく可能性が高いとしている。
5. 中央銀行の役割と機能
最後に雨宮氏は、キャッシュレス化が進んでも、中央銀行の金融政策やLLR機能は今後とも維持され、有効であり続けるとの見解を述べ、キャッシュレス化が今後さらに進んだ場合の金融政策への影響について3つのケースを例に挙げている。
第一のケースとして、円などのソブリン通貨単位で表示されない暗号資産が、ソブリン通貨を凌駕する形で支払決済に広く使われる場合は、理論的には「ドル化」のように他国通貨が流通するのと類似の状況となり、金融政策の有効性は相当失われることになる。しかし、雨宮氏は、このような暗号資産が取引に広範に使われていく可能性は低いように思うとの見解を示した。
第二のケースとして、キャッシュレス決済手段が預金同様、銀行の債務という形をとっていたり、決済が預金の移転を伴う場合、金融政策の有効性が損なわれることは考えにくい。実際、これまでも小切手やクレジットカードなど預金の移転を伴う様々な決済手段が登場したが、これらによって金融政策の有効性が大きな影響を受けた訳ではないとしている。
第三のケースは、伝統的な銀行とは異なる主体が、自らの債務として、円などのソブリン通貨単位で表示される決済手段を広く提供する場合だ。中国のAlipay、WeChatPay、 ケニアのM-Pesaなどグローバルに普及しているサービスがあるが、これらはノンバンクが広範なネッティングサービスを提供することと類似しており、これに伴い、いくつかの新たな論点も生じ得るとしている。
たとえば、このようなサービスが拡大すれば、マネーサプライの流通速度を変動させ、従来からの定義に基づくマネーサプライと経済活動との関係を一段と不安定化させるかもしれない。また、自らの債務を広く支払決済に提供するノンバンク企業を、金融安定の観点からどのようにモニタリングすべきかといった問題もある。しかしこれらの問題は基本的には、統計や制度、あるいは金融政策運営手法の見直しなどを通じて対処可能なものだとしている。
雨宮氏はこれらを踏まえ、キャッシュレス化の進行による金融政策への影響は、基本的には対応が可能なものであり、金融政策の有効性が損なわれる可能性は低いとしている。
走りながら考えるしかない
雨宮氏は、講演の最後に、これらの予測の賞味期限は、せいぜい2年から30年程度だと述べ、情報技術革新の発展のスピードに言及。今後、量子コンピュータやAIの進歩が、金融や経済社会をどのように変革していくのか、「我々は走りながら考えていくしかない」と述べた。
そのうえで、極端な思考実験をするならば、情報やデータのネットワークや処理能力がさらに飛躍的に発展し、世界中の人々が広範な財やサービスの直接交換についてマネーを介さずに瞬時に合意でき、その履行まで確保されるようになれば、最早マネー自体が不要となっていく可能性すら考えられない訳ではないとしている。
講演の全文は日本銀行のウェブサイトで公開されている。
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